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声と健康

25歳で気づいた「うつではなく意味の欠如」と音声日記の役割

著者声景編集部·

25歳のとき、仕事には行けているし、友人とも会えているのに、なぜかずっと「空っぽ」な感じが続いていました。眠れないわけでも、食べられないわけでもない。でも毎朝、何のために今日一日を過ごすのか、答えが見つからない——そんな状態が半年近く続いていました。

病院でうつの診断基準を調べたり、カウンセリングに行ったりもしました。でも「あなたはうつではない」という言葉に、ほっとするよりも途方に暮れました。「じゃあ、この感覚はなんなんだろう」と。

この記事は、私が「うつではなく意味の欠如」だと気づいていくプロセスと、音声日記がその自己発見においてどんな役割を果たしたかを書いたものです。同じような感覚を持つ人への参考になれば、と思います。

「普通に生きている」のに空虚な感覚の正体

当時の私を外から見ていたら、「普通に生きている25歳」に映っていたと思います。新卒で入った会社に3年目、仕事はそこそこ評価されていた。休日は友人と出かけたり、趣味の映画を見たりしていた。

でも内側は、ずっとどこかがざわざわしていました。仕事が終わって家に帰ると、「今日も一日が終わった」という達成感ではなく「また一日が過ぎた」という感覚。休日が楽しめているようで、「楽しまなければいけない」という義務感で動いているような気がしていました。

後から知ったのですが、哲学や心理学には「実存的空虚(existential vacuum)」という概念があります。外的な条件は揃っているのに、生の意味が感じられない状態のことです。うつのような症状ではなく、「自分はなぜここにいるのか」「何のために生きているのか」という根本的な問いへの答えが見えない感覚です。

私が経験していたのは、それに近いものだったと思います。

音声日記を始めたきっかけ

転機になったのは、友人から「思ったことを録音してみたら?」と言われたことでした。当時の私はメモをとるのが好きでしたが、書くことで整理できる感情と、書けない感情があることに気づいていました。言葉にならないもやもやが、文字にすると消えてしまう感覚がありました。

録音してみると、不思議なことが起きました。話しながら思っていなかった言葉が出てくるんです。「なんか、今やっていることが自分のものという感じがしない」「周りが期待していることをやっているだけで、自分が選んでいる感覚がない」——書いていたら出てこなかったかもしれない言葉が、話しているうちに湧いてきました。

音声日記を始めてから1ヶ月くらい経ったとき、自分の録音を聞き返してみて気づいたことがあります。私が繰り返し話していたのは「誰かに期待されることをこなしている」「自分が選んでいる感じがしない」という感覚でした。これは「うつ」ではなく「意味の欠如」に近いのかもしれない、と思い始めたのはそのときです。

「意味の欠如」に気づいていくプロセス

音声日記を続ける中で、少しずつ自己発見が積み重なっていきました。

あるとき、「自分が心から楽しんでいる時間はいつか」を意識しながら録音するようにしました。すると「仕事が終わった後、誰にも見せないつもりで書いている短い文章が好き」「週に一度だけ行く早朝の散歩の時間が、唯一「自分のものだ」と感じられる」という言葉が出てきました。

その発見はとても小さなものでしたが、「自分にとっての意味」が「大きな目標」ではなく「小さな、誰にも期待されていない時間」にあるのかもしれない、という気づきにつながりました。

音声日記の良いところは、「正しい答えを出さなくていい」という点です。文字で書くとどこか「論理的に整理しなければ」という感覚になりますが、話すことはもう少し自由です。矛盾したことを言っても、途中で話が変わっても、それが自然に録音される。

そして聞き返すと、矛盾や変化の中に「本当のところ」が見えてきます。私の場合、「うつではないのに辛い」という感覚の答えが、音声日記の積み重ねの中に少しずつ見えてきました。

音声日記が「意味の欠如」に気づかせてくれた理由

振り返ると、音声日記が自己発見に機能した理由がいくつかあります。

判断なしに話せる環境 誰かに話すとき、「こんなこと言ったらどう思われるか」という考えが入ります。でも録音機器に向かって話すとき、基本的に評価されません。その安心感が、思ってもみなかった言葉を引き出してくれることがあります。

「声のトーン」が嘘をつけない 「楽しかった」と言いながら声が低い。「大丈夫」と言いながら間が長い。文字では隠れてしまう感情が、声には出てしまいます。自分の録音を聞き返すと、「あ、これ本当は楽しくなかったんだ」という発見があります。

時系列で積み重なる 1ヶ月、3ヶ月と聞き返すと、自分の変化や繰り返しのパターンが見えてきます。「意味の欠如」に気づく過程は、一瞬の閃きではなく、積み重なる気づきの連続でした。音声日記はその蓄積を可能にしてくれます。

声景編集部の見解

「うつではない」と言われながら辛さを感じている人の中に、「意味の欠如」という概念が自己理解の鍵になる場合があります。音声日記はその探索を支える道具として機能します。声に出すことで、自分が本当に何を感じているかが見えてくることがあります。

声景の紹介

声景(Koekei)は、録音しながらAIがリアルタイムで「問いのカード」を差し込むジャーナリングツールです。波の音が入ったら「この景色を見てどう感じましたか?」、沈黙が続いたら「今、何を考えていますか?」——声と映像から文脈を読んで、思考を深める問いを返してくれます。

「意味の欠如」を感じているとき、「あなたは今、何のために生きていると感じますか?」という問いに向き合うことは、怖くもあり、でも必要なことでもあります。声景のAIは、その問いを押しつけず、話の流れの中でそっと差し込んでくれます。自己発見の旅のパートナーとして試してみてください。現在β版のウェイトリストを受け付けています。

まとめ

  • 「普通に生きているのに空虚」な感覚は「意味の欠如」という概念で捉えられることがある
  • 音声日記は判断なしに話せる環境として、自己発見を助ける
  • 声のトーンや積み重ねの中に、自分が本当に感じていることが見えてくる

25歳の空虚感に名前をつけるまでに時間がかかりました。でも音声日記を通じた自己発見が、その道のりを少し短くしてくれました。今、同じような感覚の中にいる人に、まず声で話してみることを試してほしいと思います。


※本記事は一般的な情報提供を目的としています。健康・医療・メンタルヘルスに関する判断や治療については、必ず医師や専門家にご相談ください。